フェリーニを観ることの贅沢      遠藤 克彦

https://youtu.be/Mc3y7hLuKpc?si=dfeawXR8OVuaeeQ9

この夏休み、まさかのコロナ感染のため、ひたすら映画鑑賞に没頭した私。最近ずっと観たい観たいと思いつつ観ることができなかった、フェデリコ・フェリーニ(イタリアの映画監督 1922~1993 映像の魔術師の異名を持つ。)の一連の作品を鑑賞しました。今回その作品で呟いてみたいのが「道」という作品です。道はフェリーニの作品の中でも最も人口に膾炙したものです。私が高校生の頃、テレビの深夜放送でみて、「素晴らしい映画だ!」と衝撃をうけたものでもあります。

私の持っている古いdvdはなぜか、冒頭、淀川長治大先生の解説からスタートし、開始から、往年の日曜洋画劇場の気分に浸れます。(笑)

安いカネで買い叩かれて、死んだ姉ローザの代わりにザンパノと共に旅芸人として行脚することになったジェルソミーナ。

新しい生活に新鮮味を感じたのもつかの間、胸の筋肉で鎖を引きちぎる荒っぽい大道芸のザンパノは、芸風同様に彼女への接し方も粗野で女にもだらしがない。この男との生活から逃げ出したいと思うようになる。やがて、ザンパノとジェルソミーナがサーカスの一座に加わるようになり、そこでイル・マット(狂人という意味)と呼ばれる綱渡りの芸人の男と知り合う。この男のおかげで、ジェルソミーナはザンパノから逃げ出す機会を得るのだが、それでも結局彼女はザンパノとの暮らしを選ぶ。

非常にシンプルなストーリーです。主要な登場人物はこの3人だけ。しかし、この作品は時代を超えて、多くの人に愛され、高く評価されているのでしょうか。

私はこの作品を久し振りに見るにあたって、70年近く前に撮られた本作を、いま改めて観て、何か心に訴えるものがあるのかどうか、不安でした。

たとえば、映画史に残る傑作とされるオーソン・ウェルズの「市民ケーン」「第三の男」、またアルフレッド・ヒッチコックの一連のサスペンス物の傑作でも、いま観てみると「期待ほどではないな」ということが多いからです。(まあ、個人的な感想ですが)

多分、サスペンス映画やエンタメ映画の作品は、時代と共にプロットや技術が格段に進歩してしまい、それに慣れてしまった目には、名作と言えども、「古典」は「古典」にしかみえないということではないでしょう。しかし、本作のような心情を捉えたドラマ、そして、一度耳にしたら絶対に耳から離れない、抒情的なニーノ・ロータのメロディは、時代と共に遜色することがないのです、きっと。だから、モノクロやスタンダードサイズの画面など、気にすることもなく、イタリアンネオリアリズムの世界に引き込まれてしまうのだと思います。

しかし、この映画の魅力は、なんといっても、フェデリコ・フェリーニのミューズであり、私生活の伴侶でもあるジュリエッタ・マシーナの圧倒的な存在感。

年齢不詳で、ショートカットにピエロのような風貌。悲しく沈んだ表情の後に、時折見せる天真爛漫な表情。

 

冒頭の解説で淀川長治先生も「ちょっと頭の悪い女の子」と言っていますが、作品の中で障害についての具体的な言及はありません。確かに少し妙な言動はあります。例えば、ザンパノの方言を聞き分けたり、明日の天気がわかったり、子どもとすぐに打ち解けたりなど。彼女ならではの特異な才能がいろいろ伺えます。知的障害の取り扱いと同様にアンソニークイン扮するザンパノという荒くれ男のセクハラ・パワハラぶりも相当古典的(70年も前だからしかたないのだが 笑)です。

つらくあたられても、ザンパノをいとおしく思う気持ちと、愛想をつかして逃げたいと思う気持ちがジェルソミーナの心中で葛藤を描き、その心模様が作品に深みをあたえます。

 

 

さて、重要な第三の男。サーカスの一座に加わったザンパノを昔から知る、綱渡り芸人のイル・マット。

彼(ザンパノ)をからかうわ、ステージの邪魔をするわで、犬猿の仲なのですが、なぜかジェルソミーナとは親しくなり、なかなか上達しなかったラッパも、イル・マットのおかげで上達していきます。何より、彼はザンパノとは違って、彼女のラッパを褒めてくれるのです。ジェルソミーナは、承認欲求が強いわけではないが、料理も下手で、何のとりえのない自分はどうやって生きていいか悩んでいて、(ここで、この映画はぐっとわれわれの日常に近づいてくる)イル・マットはそこに救いの手を差し伸べてくれるのです。

イル・マットはジェルソミーナに言います。

「お前みたいななにもできないアザミ顔の女を追い出さずにいるなって、ザンパノはお前に惚れてるんじゃないのか?あいつは、犬みたいに吠えることしかできないかわいそうなやつなんだ。お前以外にだれが、あいつのそばにいられるんだ?」

「小石だってなんだって、この世の中のものは何かの役に立っている。おまえもブスだけど何かの役に立ってるんだ。」

よく考えれば、相当失礼な台詞ですが、ジェルソミーナはこの言葉で自分の存在価値に気づき、ザンパノを一人にしてはいけないと元気を取り戻すのです。

私はこのイル・マットのセリフが大好きなんです。この小石が何の役に立っているの?と聞きかえすジェルソミーナに「俺は知らないけど神様が知ってる。神様はすべてを知っていらっしゃるんだ」とイル・マットはいうんですね。ここにはいわゆるローマ・カトリックの思想の根幹が表れていると私は思っています。「小石だってなんだって、この世のものはみんな何かの役に立っている」というのは、いいかえてみればこの学校の教育テーゼ「あなたはあなたであることで本当に素晴らしい」ということと同じだと私は考えています。

この3者の紡ぐ物語は今後どのように展開していくのでしょうか?この続きはぜひとも皆さんでご覧ください。非常に贅沢な時間を過ごすことができますよ。

この映画のpvをリンクを上に貼っています。興味のある方は観てください。