志ん朝の声に惹かれて春月夜  遠藤 克彦

4月も下旬になり、暖かくなってきました。寒かったころと違い、夜などもちょっと表を散歩してみようかなと、そんな心持ちになる時期がやってきました。晩御飯を食べた後、小一時間くらい外の散歩をする。これが私の日課となっています。ただ、夜の街を歩き回るのではありません。以前このコーナーでつぶやきましたが、最近私は「落語」を聞くのが趣味となっています。YouTubeに挙げられている落語の一覧は物凄いもので、昭和・平成の大名人たちの名演がズラリと並べられています。これを一席・二席ずつピックアップし、伝説の大名人の声に耳を傾けながら、春の月夜を小一時間散歩する。これがなかなか乙なものであります。

私がよく聞くのが五代目柳家小さん(1915~2002)・三代目古今亭志ん朝(1938~2001)の噺です。(何故か上方落語ではなく江戸落語が好きだ。) 特に古今亭志ん朝師匠の噺は素晴らしい。伝説の噺家と言われるだけのことはあります。粋でいなせな江戸落語の極致にあると言われていますが、まさにそのとおり。彼の話を耳にしながら歩きだすと、うすぼんやりとした和歌山の夜の街が、小粋で洒落た江戸の街の空気に染まっていくのを感じます。他の噺家さんとの違いは、彼の「声」の持つ圧倒的な力・グルーヴの力です。寄席で話す彼の力強い声・言葉が、観客の心を笑い・泣きといった感情にぐいぐいと引っ張っているのを感じます。何十年の時空を隔ててそれを聞く私の心・身体もそれに引かれてぐいぐいと前にでるのです。歩きながら声を出して笑ってしまうときもあります。ニヤニヤしながら歩いている私のことを、周りの人は変な奴だなあと思っていることでしょう。

当分のあいだ、私だけの「春の夜寄席」は続けていきたいと思っています。

 

もし、古今亭志ん朝師匠の噺に少しでも興味がある人はYouTubeで見てください。「火焔太鼓」「唐茄子屋政談」「お直し」などが有名です。「落語なんて年寄りの娯楽じゃないか?」と思わないで。大阪の落語寄席の客は半数以上が若者です。語り口のカッコよさ、その声が持つ素晴らしいリズム感・グルーヴは感じ取ることができると思います。今流行りのrap‐musicにも通じる魅力に溢れていると私は思うのですが、どうでしょう。