死を想う 森田 亮治

11月はキリスト教では「死者の月」とされています。本校でも11月の「物故者追悼ミサ」では死者が神のみもとに帰り、永遠の命にあずかることができるようお祈りします。

大方の宗教では「死後の世界」があり、「天国」や「極楽浄土」と呼ばれています。「宗教」にとって、「死後の世界」を見つめることがとても大切なものに違いないからなのだと思います。

私が自動車教習所に通っていた頃、教官に「もっと遠くを見て運転しなさい。そうすれば操作がブレないから。」と教えられました。確かに遠くを見据えて運転すれば自動車の運転が安定することを、今でも実感します。人生も同様で、「生きている期間のことだけを考えて生きるのではなく、死後の人生までも意識して生きた方がより安定した幸福な人生が送ることができるのではないか」と私は勝手に考えています。

様々な宗教においての死後の世界というのは「人は死後どうなるのか」ということと合わせて、「どのように生きればこの人生を安定して幸福に暮らせるのか」ということを意識するために存在するのではないかと私は思います。