エルサレムよ、もしもわたしがあなたを忘れるなら

エルサレムよ
もしも、わたしがあなたを忘れるなら
わたしの右手はなえるがよい。
わたしの舌は上顎にはり付くがよい
もしも、あなたを思わぬときがあるなら
もしも、エルサレムを
わたしの最大の喜びとしないなら。
『旧約聖書』「詩編」137章5~6節

「詩編」とは、神への賛美をうたった詩をまとめたものです。この詩に登場する「エルサレム」とは、ユダヤ人の故郷の地名です。ユダヤ人はこのとき、新バビロニア(カルデア)という国によって祖国を滅ぼされ、新バビロニアの首都バビロンへと強制連行されていました。ですから、「エルサレムよ」という呼びかけは、ユダヤ人の祖国を思う魂の叫びだということができます。
故郷とは、都市だけのことを指すのではないように思います。たとえば、学校も故郷の一つではないでしょうか。大人の方は、卒業後に自分の出身中学校・高校に行くととても懐かしい気持ちがすると思います。私自身、教育実習で母校を訪れたときは、里帰りしたような気持ちになりましたし、中学校・高校時代の友人と会うと、十年以上会っていなくても、昨日も会っていたかのように接することができます。
信愛という学校も、みなさんにとっての故郷になって欲しいと思います。在校生のみなさんはいつかは巣立っていきますが、「信愛よ、もしもわたしが……」と叫ぶくらい、信愛のことを心の故郷として、守っていって欲しいと思います。