神の国は、からし種のようなものである

「更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」
『新約聖書』「マルコによる福音書」4章30~32節

からし種とは小さなものです。イエス様は最初、「神の国」を小さなからし種にたとえます。しかし、成長したらどんな野菜よりも大きくなると述べて、その無限の可能性について言及されます。
実は、中国の思想家であり性善説を唱えた孟子も、同じような考えを述べています。孟子は、人間は本来善なので、心の中にある善の種を育てていくように説いているのです。「四端」と孟子は呼んでいますが、「惻隠(あわれみ)の心」は「仁」の種、「羞悪(悪を憎む)の心」は「義」の種、「辞譲(へりくだる)の心」は「礼」の種、「是非(善悪を見分ける)の心」は「智」の種、としているのです。また、仏教でも「善根」という言葉があり、やはり種のようなものから、善が芽生えていく、という考え方を伝えています。
イエス様は聖書の別の箇所では「神の国はあなたがたの心の中にあるのだ」ともおっしゃっています。つまり、我々が心の中にある善の種に水や肥料をやり、雑草を抜けば、しっかりとした善の心が育っていくのだ、とおっしゃっているのでしょう。そうすることで、いわば「神の国」が自分たちの心の中に宿る、ということになるのです。
我々が生きていくうえで、指針ともなるべき、含蓄のある言葉だと思います。