南 正人

去年の新語流行語大賞の中に「知らんけど」があって、それって「新語?」と思った関西人は多かったのではないでしょうか。だって、大阪のおばちゃんは、結構前から頻繁に使っていたよ、と。僕もそう思う。ただ僕は、だからこれが「新語ではない」と言いたいのではない。こういう言葉(それを僕は「自己責任回避語尾」と呼んでいるのだけれど)の歴史は古い、ということを言いたいのだ。何年かに一度このような「自己責任回避語尾」が流行する。
僕の知る最も古い「自己責任回避語尾」は、「なぁんちゃって」である。1980年頃から流行ったことばで、「絶対東大に行く、なぁんちゃって」というように使う。その次に流行ったのは、「~みたいな」だ。これは1990年頃だったように思う。「絶対に東大に行く、みたいな」のような使い方をする。ただ、ここまではまだ自己責任回避語尾の前では、きちんと自己主張していた。「これはこうだ」と言い切る。ただ、ちょっと自信がないし、それを否定されたら恥ずかしいから、「なぁんちゃって」や「~みたいな」で逃げる。(この系譜の中に、2007年の新語流行語大賞になった小島よしおの「そんなの関係ねぇ」の最後の「オッパッピー」も含まれると僕は考えている。「そんなの関係ねぇ」と非常に強い言葉を使っておいて、最後に「オッパッピー」とおちゃらけることで、自己責任を回避しようとしているのである。)
次に、2000年頃には、「語尾上げ表現」が登場した。つまり、「自己責任回避語尾」が「?」になったのである。「私が、今から必死で勉強する? そして東大に行く?」のような使い方で、これはその後、「私が今から必死で勉強するじゃないですかぁ、そうしたら東大に行けるじゃないですかぁ」という形になっていく。こうなると、もう「自己」主張そのものが曖昧になる。相手に同意を強要して、自己主張ではなく、「共同」主張にしてしまう。これなら、相手から反論される心配はない。なぜなら、共犯なのだから……。
そうして、去年の「知らんけど」である。ここではさらに、「自己責任回避」が進化を遂げる。「知らんけど」の前には、伝聞形式の言葉が入る。もはや自己主張の形式さえ取らない。「私の今の学力でも、これから必死で勉強したら東大に行けるらしいよ」と。私の主張でもなければ、あなたと私の「共同」主張でもない。誰かが言っていたのだ。その主張に関して、自分にはまったく責任はない。ただ、あるとしたら、主張内容ではなくて、それをあなたにあたかも真実であるかのように伝えてしまったことで、そこに多少の責任が発生する。だから、それさえも「知らんけど」で、責任逃れする。
この「知らんけど」を、うわさ好きでおしゃべりな大阪のおばちゃんが使うのは、いい。でも、みなさんが使ってはいけません。他人の意見を自分の意見のように言うのは、いけません。自分の意見を、他人の意見のように言うのはもっといけません。ちゃんと自分で考えて、自己責任のもと、自分の言葉で堂々と主張して下さい。