はやぶさ2のカプセル帰還によせて 藤原麻衣

はやぶさ2からの「玉手箱」が届いた。
「玉手箱」であるカプセルとともに、ヒートシールド、パラシュート―――地球に再突入したパーツは全て回収された。
このカプセルが重要であることはいうまでもないが、ヒートシールドが回収されたことも大きな意味があるという。ヒートシールドを分析することで、大気圏突入時にどの程度の熱に耐えたのかがわかるため、今後の探査機の設計に役立つそうだ。

さて、このカプセルには小惑星リュウグウ由来の砂が入っていると考えられており、今後の研究が期待される。最大1グラムとも言われるリュウグウの砂は、今後各研究機関等に分配される予定になっているが、その40%が分析技術が向上した将来のために保管されるらしい。

はやぶさ2が6年かけて地球に届けた貴重な砂だ。替えの効くものではない。すぐに手に入るものでもない。自分の研究のために使いたいと思う研究者は多いはずだ。
それでも研究者たちは貴重なサンプルを未来に託すという選択をする。

思えば学校という場もこのようなものだ。
いい成績を取るために、検定や大学に合格するために授業を受け、勉強をする。もちろん結果を出すことは大切だし、合格すればうれしい。しかし、勉強の過程で得られるものはそれだけだろうか。思考力や集中力など、目に見える結果以外のものも得られるのではないだろうか。
得た知識を発揮して問題を解く。それが勉強である。しかし、その知識はすぐに活用できるものばかりだろうか。教員の雑談は、テストに直結するものばかりだろうか。しばらくしてから、もしかすると何年も後になってから、ああ、あのときの話はこういうことだったのか。と思うことがあるのではなかろうか。

私の知識が、私の感動が、いつか誰かの心の中で花開き、そしてその種が私の知らない誰かに蒔かれればいいと思う。そうして人は、知識は、感動は繋がっていくのだと思う。