コロナに思う – 吉田 晋

みなさん、コロナの時代をいかがお過ごしでしょうか?
自粛生活、疲れましたね。
私はへとへとです。
生き延びるために必死という状況が続く中、いい意味でも悪い意味でもかつてないほど人間の性(さが)が露見している気がします。
それで疲れるのでは、と自分では解釈しています。

さて、こんな時代でも少しでも前向きに生きていくために、私には使用を控えている言葉があります。
「当たり前」という言葉です。
「そんなの当たり前や」という言い方をするとだいたい喧嘩になりますよね。
生徒のみなさんも経験があるのではないでしょうか。
「常識」や「普通」という語にも似た効果がありますので、私は使いません。

その理由は、実は人によって「当たり前」が違うからです。
自分にとって当たり前でも、相手にとっては「当たり前」ではないことがよくあります。
そんな「当たり前」を押し付けようとするから喧嘩になります。

不便な生活が終わり早くもとに戻って欲しい、という願いはみな共通でしょう。
しかし、では今どうすればいいのかということになると立場によって「当たり前」が異なってきます。
医療関係者、経済学者、政治家・・・などの専門家と呼ばれる人々が日々ワイドショーやSNSで互いの「当たり前」をぶつけ合い、議論を超えて喧嘩する姿を頻繁に目にするようになりました(時間の無駄なのでなるべく見ないようにしていますが)。
我々一般人もここ数ヶ月で十分に意思疎通ができていない中で学校が始まると、各自の「当たり前」をぶつけ合い、ストレスのたまる毎日になりそうな気がします。

みんなが思い通りにならずイライラしている時代。
自分の思う「当たり前」が通用しない場面が増え、ついつい人に辛くあたってしまう。
こんな時代を経験したからこそ、ぜひ発想を変えるきっかけにしてください。
人によって、立場によって、みんな考え方は違います。
自分にとっての「当たり前」を押し付けることなく、人の考え方に耳を傾け、互いを認あうことが求められています。
これを多様性といいます。
「当たり前」を押し付けたがる人たちが喧嘩して、それでも思い通りにならず疲れ果てて多様性の大切さに気づき始める。
コロナを経験したことによって、これからはそんな風に世の中が変わっていくのではないかと感じています。
コロナ禍によって世の中が変わるとよく言われますが、できるだけ明るい未来を想像したいものです。
(タイトルはあるテレビ番組のコーナーから拝借させていただきました。)