10年間というスパンは、皆さんにとってどのような長さに感じられるでしょうか。「年齢を重ねれば月日が流れるのも早くなる」とはよく言ったもので、20代の私ですら、ここ数年の月日の早さに驚いております。
では、20「10」年代はどのような10年だったでしょうか。生活面ではインターネット社会が目覚ましく発展していき、人間のライフスタイルを大きく変えていきました。ネットは今や、面白いメディアではなく、上下水道や電気のようなインフラの側面を強く持ち出しまたね。また政治面では、対立が絶えない情勢でした。2010年12月に中東チュニジアから始まったアラブ世界の民主化運動は、「アラブの春」と呼ばれる大きなうねりとなって世界を揺るがしました。ある地域では内戦が勃発し、またある地域では宗教的イデオロギーを軸に新たな勢力が台頭し、暴力を用いる場面もあります。一方で、様々な人々と関わり様々なトラブルが発生するグローバル化の中で、各国の極右思想の躍進や移民排斥など、グローバル化の反動によるナショナリズムの高まりも見られました。
私がここで感じるのは、今まで基盤としてどっしりと構えていた「秩序」のようなものが大きく崩れてしまい、進むべき方向性が失われたということです。冷戦が終結し、世界は新たな「秩序」のもとに発展していくと信じられていました。しかし蓋を開けてみると、分裂と孤立の連続です。進むべき道を外れ彷徨うように、各地域・民族がバラバラに動き始めた。その行動原理には、文化や歴史、富を得るための経済が原因にあるでしょう。そのような原理に動かされた社会において、抑圧されてきた小さな声たちももちろんいます。抑圧された小さな声たちが綻びとなって集積していき、10年代になって「秩序」を揺るがす爆発となった。ソ連が崩壊したころには想像もつかなかったような社会の地平が、今我々の目の前に広がっていますね。
私たちにとって秩序とは何を指すのでしょうか。ルールがルールとして機能していることなのか、あるいは富が蓄積されていることなのか。もちろんその内容は人それぞれです。価値相対主義の現代なら尚更、秩序が含む内容は多岐に渡るでしょう。しかし少なくとも、その秩序の中に何らかの「希望」は入れていたいものです。しかもその「希望」は、人を押し付け支配する性格のものではなく、人を支え生かす性格が断然良い。自分の生きがいを富や名誉に求める傾向は、やはり誰にでもあると思うのですが、そういうものをほんの少しだけ方向転換し、周りの人が生きるための「希望」を持って秩序が作られてほしいと、感じてしまうんですね。
「20」年代の初め、日本はオリンピック・パラリンピックから始まります。世界が、国や民族を超えて一つの大きな希望に向かうイベントです。この新しい10年が一体どのような10年になるのかはわかりませんが、少なくとも良い希望も持って生きていきたいですね。その生き方がまったく違う喜びになり、まったく違う生きがいとなって自分の生に跳ね返ってくるのではないかと思います。 西村