未だ木鶏たりえず 村上 渉

「未だ木鶏たりえず」イマダモッケイタリエズ

これは戦前の大横綱、双葉山が大台の70連勝に大手の懸かった取組で安藝ノ海に敗れ、その夜に友人に電報を送った言葉である。

木鶏とは、闘鶏を育てる名人が登場し、王からの質問に答える形式で最強の鶏について説明する故事から出てきた言葉である。鶏の訓練から10日たって王が仕上がりについて尋ねたところ、「空威張りして闘争心があるからいけません」と答える。さらに10日、10日と待ち続け、ついに、他の鶏の声を聞いてもまったく動じない鶏に仕上がった。落ち着いていて物事に驚かないような姿はまるで木彫りのような鶏のようになった。どんな鶏も、その姿を見ただけで逃げてしまうことから、木鶏は真に強い者は敵に対して少しも動じないことのたとえして使われた。このような何事にも動じない木鶏のような強さを目標として相撲に取り組み、そして負けたとき、まだ木鶏のような状態になれていないという気持ちを表すため、彼は「未だ木鶏たりえず」と言葉にしたのである。

高校相撲に話は変わるが、昨年、ニュース和歌山に和歌山商業高校2年の花田秀虎選手が、2018年7月21日に台湾で開かれた世界ジュニア相撲選手権大会の個人戦無差別級で優勝したと報じられていた。その記事を見た後、彼と話す機会があり、彼の高校生活を聞いてみると、「1日の過ごし方は早朝練習から始まり、授業を受け、その後夜遅くまでトレーニングを行っている」、「一日も高校三年間で休みの日に遊びに行かず、体のケアを行っている」と言っており、一般的な高校生とは違う生活を送っていることがわかった。また、話を聞いていく中で、世界ジュニア相撲を優勝しても謙虚に先を見据え、将来大相撲の横綱になるために生活しているという言葉と彼の相撲に対する姿勢から、彼の姿に木鶏が感じ取られた。

さて、木鶏のように周りに動じず、自分が決めた目標に対してしっかりと努力を積んでいく姿勢は私たちも見習うものがあります。周りの環境がどうだとか、周りの人間がどうだとかに振り回されてしまうと目標から遠ざかっていくでしょう。自分が何をやらなければならないか客観的に考え、時に周りの人の助言を受けながら自分が何をしないといけないのか考えて過ごしていくことで自身の目標に近づくことができるでしょう。信愛の皆さんも何事にも動じない木鶏のように、今年の学校目標である「賢い」に取り組んでみてはどうでしょうか。