中学入試の思い出  山本茂樹

本日は、本校(和歌山信愛中学校)の入学試験のC日程が行われました。
受験生のみなさんには、日ごろの勉強の成果を遺憾なく発揮していただきたいと思います。

さて、本日は私の中学入試の思い出を語らせていただきたいと思います。
私は北摂の高槻の出身で、今はなくなってしまいましたが、当時は北摂のあちこちに教室のあった塾に通っていました。母親はもともと京都の洛星という学校に通わせたかったそうで、私もよく分からないままにそこを第一志望としていました。学校には、一度だけ説明会に行ったことがあっただけで、どんな学校かはよく知らないままに受験しに行ったと思います。説明会の記憶というと、内容はよく憶えていませんが、ある保護者の方が、質問されていたということだけ憶えています。質問の内容は、「仏教徒だったら受験のときに不利になるのか」ということでした(笑)。
試験問題はまったく憶えていません。母親が体育館に張り出された問題を見て、私が苦手な電気の問題が出ていた、と試験後に言っていたのは憶えていますが、どのような問題だったのかは、まったく憶えていません。
ちなみに試験は2日にわたって行われました。2日目が面接だったのでしょう。面接は、複数の面接官と、複数の受験生による面接でした。ここで憶えているのは、「どんな時が幸せですか?」という質問です。小学校6年生に聞く質問なのか?と、今、自分が面接する立場になったら思いますが、そんなことを当時は聞かれたのですね。私は、「生きているだけで幸せです」と答えました。面接官の先生は「哲学的なことを言うなあ」と笑っておられたと思います。ユニークな受験生だ、とは思っていただいたでしょう。
さて、結果はといいますと……。見事合格でした。教室か廊下かの窓から、ボードを先生方が吊り下げての発表でした。吊り下げている段階から、自分の番号がある!というのは見えたように思います。塾の先生も一緒に発表を見ていてくださったのですが、確か私が「もう死んでもいい」と言ったのに対して、「アホ、これからやないか」と先生がおっしゃったように思います。厳しくも温かい先生でした。

思い出話が長くなりましたが、一番最後に塾の先生がおっしゃった言葉は、とても大事な言葉です。それは、「これからやないか」という言葉です。受験は一生のなかでも大事なことなので、ついつい、重く考えすぎてしまいます。期待やプレッシャーがかかりすぎると、失敗したらどうしよう、落ちたら生きている価値がないんじゃないか、そのように思い込みすぎてしまうこともあります。しかし、合格してもやる気が出なければ難関校に通う意味はないし、不合格でもそこから必死で勉強して大成する人もいます。小学校6年生の受験の結果がその後の人生すべてを決定するわけではありません。つまり、受験はゴールではなく、あくまで通過点に過ぎないのです。
ですから、本校を受験していただいたすべての方々に、今後も活躍し頑張っていただきたいと願っております。