南 正人

今日12月16日は、1890(明治23)年のこの日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始したことに因んで、「電話の日・電話創業の日」なのだそうです。ただし、その時の電話加入者数は、東京が155、横浜が42だけ。
それから、120年余りが経ち、電話は本当に驚異的な進化を遂げました。
携帯電話の進化だけでもすごいもので、最近、平野ノラという芸人が初期の携帯電話をギャグとして使っているけれども、僕が就職した頃(1980年の後半)、大手ゼネコンに就職した友人が、確かにあんな携帯電話を持って飲み会に来ていました。(きっと見せびらかしたかったのでしょう。そして、確かに、感動して見せびらかされてしまいました)
まぁ、ハード面の変化には、僕はあまり興味がないのだけれど、ソフト面、特に「ことば」の面にはとても興味を持っています。
たとえば、携帯電話が普及したことにより、「ダイヤルを回す」「(紙の)アドレス帳を開く」「受話器を置く」……こんな言葉も、もはや死語になっているのかもしれません。
さらには、「もしもし」なんていう言葉もやがて死語になるのでしょう。
「もしもし」は、「申し申し」から転じたもので、電話に出る相手が誰かわからないため、失礼にならないように、まずは「申し上げます」と断ってから話し始めたのだと言われています。けれども、携帯電話の場合、「電話に出る相手が誰かわからない」なんてことはないし、誰からかかってきたかも一目瞭然です。だから、もはや「申し上げます、申し上げます(もしもし)」なんて言う必要がないのです。
まぁ、死語がある分、生語も(新しく生まれる言葉も)あるのだろうけれど、固定電話にまつわる様々な「物語」を持ってる者としては少し寂しい気がします。
そう言えば、年賀状の季節ですが、あれだけ「嵐」が頑張ってCMしても、年々年賀状は激減しているそうです。それも、年寄りとしてはやっぱり少し寂しい。
けれども、若い君達は、きっと新しい言葉で、新しい君達の「物語」をしっかり紡いでいってくれることでしょう。この先、どんな言葉で、どんな「物語」を聞かせてくれるのか、とても楽しみにしています。