信愛のプチ歴史       湯浅永一

信愛は終戦の次の年、昭和21年4月、新和歌浦萬波樓にて櫻映女学校としてスタートしました。

今回は信愛の歴史に少しふれてみたいと思います。

昭和22年 現在のこの地 屋形町に移転。

昭和23年 この校庭にて第1回運動会が催されています。この狭い校庭で芋の子を洗うような状態だったのでしょうか。運動会は名前を変え体育祭として続いています。途中色んなところで実施され、広瀬小学校校庭・紀の川河川敷・紀三井寺競技場・短大運動場、そして今は天候に左右されないビッグホエール、今年は11月ですね。

昭和24年 いろんなことがありました。校歌が制定され、現在に至っています。

校訓が決まりました。「清く」「正しく」「強く」です。どこかの音楽学校の校訓によく似ていますね。

また、校色がありました。その色は海老茶色です。物に困っていたのでしょうか、文部省(今の文科省)より

リヤカーを配給してもらっています。

昭和25年 女専新聞(今の信愛新聞でしょうか)第1号が発刊されています。

昭和26年 幼きイエズス修道会に経営移管され、正式に信愛がスタート。

昭和29年 ソフトテニス部インターハイ全国団体初優勝 その後も我が運動クラブは輝かしい歴史を積み上げています。

修学旅行は昭和20年代終り頃 中学紀南方面・高校東京方面で始まったようです。

行先は時代とともに変更され、中学は、昭和32年より東京方面、昭和52年より信州、平成7年より九州となり、平成19年からは修学旅行を廃止し、各学年実施の研修旅行になりました。

高校は、昭和31年より九州、平成7年より北海道、平成19年よりフランス・北海道の選択制となり、今年は国際情勢の変化でカナダ・北海道となりました。高2生 楽しい修学旅行になりますように。

卒業式も今年の春、中学67回目・高校64回目を迎え、卒業生は中学7千名を超え、高校1万5千人を数えています。親から子へ子から孫へ信愛の歴史が受け継がれ、色んな場所、色んな分野で活躍されています。

現役の皆さん、この歴史を受け継いで輝かしい未来を築いていって下さい。まずは目の前に迫った中間試験頑張って下さい。