愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。
『新約聖書』「ヨハネの手紙一」4章7~12節
「ヨハネの手紙」の作者ヨハネは、イエスの直弟子である十二使徒の一人とされています。この手紙自体が、本当にそのヨハネの手によるものなのかは、分かりませんが、最もイエスの教えをよく知っている人間が書いた、という手紙になるわけです。ここでは、前回考えた「目に見えないもの」への答えが書いてあるようにも思います。
神様は目に見えません。それはここでヨハネも述べています。しかし、見えないけれども、わたしたちが互いに愛しあえば、神はわたしたちの内にとどまるのだ、とヨハネは人々に説きます。
アメリカの哲学者ウィリアム=ジェームズは、「真理であるから有用、有用であるから真理」という言葉を自身の著書のなかで述べています。例えば、人間にとって役立つのであれば宗教は真理を言っている、ということになり、役立たないのであれば宗教の言っていることは真理ではない、ということです。極端な例を挙げれば、地中侵略を企む宇宙人がいることで、人類が団結して平和に暮らすことができるようになるのであれば、宇宙人の存在は真理だ、ということになるわけです。
神様というものも、目に見えないわけですから、真理とは信じられないかもしれません。しかし、その存在によって我々が互いに愛し合うならば、神様の存在は真理だ、ということになるわけです。
みなさんにとって、例え荒唐無稽なことでも、みなさんが幸せに暮らしていけるのであれば、それは真理である、としてよいのではないでしょうか。