わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
『新約聖書』「コリントの信徒への手紙二」5章18節
「コリントの信徒への手紙」は、「異邦人の使徒」と呼ばれたパウロが、ギリシア地方の信者に向けて書いた手紙です。当時、ギリシア地方もローマ帝国の一部でした。
聖書では、冒頭の箇所の後に、このように続きます。「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています」と。
要するに、物質的なものは限りがあるが、精神的なものは永遠である、ということを言っているのではないでしょうか。ここでいう精神的なものとは、「神」や「愛」といったものを指すと思われます。私はここで、肉体は滅びるが霊魂は不滅だ、などといった神学的な話をしたいわけではありません。
『ONE PIECE』という漫画に、Dr.ヒルルクという人物が登場します。彼は、自分の死が近いことを悟りながら、医者として患者を最期まで治そうと努力しました。そのとき、悪王ワポルに対して、このようなことを言います。「人はいつ死ぬと思う? 誰かに忘れられたときだ」と。つまり、銃で撃たれたり、毒を飲んだり、不治の病にかかったり、そのようなことでは人間は死なず、人々に忘れられたときに死を迎えるのだ、と言うのです。
インドで活動した修道女マザー=テレサも、誰からも顧みられず、路上に放置されていた人々を引き取って、「死を待つ人々の家」を作りました。ここで亡くなった方は、きっと修道女たちによって安らかな死を迎えたことでしょう。肉体は死にましたが、気持ちはきっと穏やかだったはずです。
また、我々もお通夜やお葬式を通じて、亡くなった方を悼みます。七回忌や十三回忌といった法事も行います。やはり肉体は死んでいますが、人々の記憶のなかで故人はいつまでも生き続けるわけです。
我々も、物質的なものが永遠でないことを認識し、身近な人に対する愛情を、永遠に続くものへと高めていきましょう。