節分―柊(ひいらぎ)いわし   石田晋司

今年も節分が過ぎました。我が家でも、豆まきをし、年の数に合わせ豆を食べ、巻き寿司に大きめのイワシを食べました。幼い頃は食べる豆が少なくて寂しい気がしましたが、最近は年齢ほども食べきれなくてうんざりします。

我が家では、イワシはフライパンで蓋をして焼いています。グリルで焼くより煙も少なめで後片付けもそう手間はかからず、においだけの我慢で済んでいます。食後にイワシの頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して戸口に飾り魔除けにしました。

さて、節分に柊イワシ、豆。当たり前のように毎年繰り返してきましたが、幼い頃は巻き寿司は食べなかったように思います。また、落語の「厄払い」では江戸の頃から年越しの夜は厄払いをする風習が紹介されています。思い白い話ですが、私は年越しに厄払いをしているところは一度も見たことはありません。厄払いの風習はもうなくなったのかもしれません。

そう考えると、節分に限らず、今まで「なぜ」と考えることなく繰り返してきた風習ですが、本来の意味や目的を知って、意識して継承していかなくてはならないと考えたりしています。