先日、ガウディとサグラダ・ファミリア展に行ってきました。
会場は大きく分けて二つに分かれており、前半はガウディの手がけたサグラダ・ファミリア以外の建造物についての展示。このセクションがあるからこそ、この展覧会はサグラダ・ファミリア展ではなく、「ガウディと」サグラダ・ファミリア展というタイトルなのです。
破砕タイルやネオ・ゴシック、らせん状の柱、放物線アーチなど、ガウディ建築の特徴をひとつひとつ解説していきます。それぞれにつながりは薄く、ガウディ建築の特長という「点」を説明する展示です。また、「解説」なので、実物や模型はあるものの、キャプション(説明)がメインかなと感じました。キャプションを理解するために、模型があるのです。
それほど広くない会場。人気の展覧会だけあって、どの展示、キャプションの前にも人・人・人。さらにキャプションメインで情報量の多い展示…あらゆるものの「多さ」と、説明を読んでは模型を見、また説明に戻り…と、個人的には一つの展示を見るのに絵画鑑賞よりも時間がかかり、正直とても疲れました。なんなら、なぜこんなに見にくい導線なんだ…と内心モヤモヤしていました。
しかし、後半のサグラダ・ファミリアに関する展示が始まったとき、前半の「点」の展示の必要性を理解しました。
つまり、サグラダ・ファミリアはガウディ建築の特徴全てが詰まった、ガウディの建築家としての集大成だったのです。前半の展示のどれが欠けても、サグラダ・ファミリアを説明また、理解することはできないのです。
モヤモヤしていたわかりにくい「点」の展示が繋がり、サグラダ・ファミリアという線・面で理解できたとき、それまでの疲れを忘れるくらいワクワクしました。後半の展示は、前半を頑張って理解したおかげか、内容がすんなり入ってきて、前半より疲れずに楽しめました。
さて、点と点が繋がり、線・面になったときにワクワク同時に感じたのは「ああこれが学びか。」ということです。
学校での勉強というのは、科目ごと、単元ごとに授業をします。つまり「点」です。
何の役に立つのか。何の話をしているのか。これは前の単元とどう関係するのか…。色々考えていると、つまらないなあとか疲れるなあとか意味わからんすぎてむかつくとか、そういう気持ちになるのはとてもよくわかります。ちょうど、私がガウディとサグラダ・ファミリア展の前半を見ていたときと同じ気持ちでしょう。
でも、勉強というのはどこかで繋がるものなのです。「どこか」は、もしかしたら一年の間にはないかもしれない。三年間、六年間の中にもないかもしれない。けれど、どこかで繋がり、線になり、面になり、今までの「わからなくてむかつく」が払拭されるその瞬間があります。
その瞬間を味わうために、みなさんには勉強を続けてほしいと思います。繋がる瞬間、めちゃくちゃ気持ちいいですよ。