英語版コミック『君の名は。』を読もうとして挫折した話 Imaizumi

何年か前になる。駆け出しの語学講師だった私は、当時の学校文法の凝り固まった英文に対するわずかながらの抵抗として、より実践的で現実的な英語の使われ方を自分になりに再確認してみたいと思っていた。そんな中、書店の語学書コーナーを見ていると、バイリンガル・コミックのコーナーが目を引いた。

一冊の本が私の心を捉えた。タイトルは、『君の名は。』

中を見てみると、ほどよい台詞の量と、ほどよく実践的な英語が使われていた。私はそれでもなお逡巡した。買うからには台詞を全部覚えてしまうぐらいには読み込みたいと思っていたから、教材の選定には慎重を極めるのは当然のことである。

第1話の冒頭で、主人公(女子)の次のような台詞があった。

“If I were a hot guy,”
〔私が〕イケメンやったら。

そして第2話の冒頭の、同じ主人公(女子)の台詞。

“When I woke up, I was a boy.”
目が覚めると、男になっていた。

これが意味するのは、第1話の間に主人公の語りが仮定法から直説法に変化したということである。願望から現実へ、その鮮やかな跳躍を私はおもしろいと思った。

それより前に一度だけ映画は見たことがあった。(ここ、過去完了ね。)しかし、私は意思が薄弱なところがあって、家で映画を見ると大抵途中から酔っ払ったりしてストーリーはほぼ頭に残らないのである。そういうわけで新鮮な気持ちで読むことができそうだと思った。そして本を手に取りレジへと向かった。

早速家に帰って台詞を音読してみた。しかし、最初は調子よく進んでいたのだが、途中からどこか音読の歯車が噛み合わない感じがしているのに気づいた。クリストファー・ベルトンの『知識と教養の英会話』を音読するのとは訳が違うのである。ある程度進んだときに、突然私はその原因に思い至った。それは、登場人物たちの会話が――等身大の高校生の会話が――、あまりに瑞々しいのである。なんだか違う世界の人間の会話のようで頭に残らないのである。

主人公(男子):もしかして本当に?
主人公(女子):本当に…?
主人公(男子):この女と
主人公(女子):あいつと…
主人公(両方):入れ替わってる~!?

と言われたところで、

今:いや、
今:そもそも、
今:なんで、
今:入れ替わるの~!?

という考えしか頭に浮かばないのである。個々の台詞は理解できても、全全全体的に話がうまく頭に入ってこないのである。

その後もいくつかのシーンに心を乱されそうになりながら一通りだけ読んで、語学の道を究めゆく探求者は静かに本を置いた。結局しばらくしてその本は古本に出してしまったので、今頃は、理解ある良き学習者に巡り会えていることを願うばかりである。ふとしたときにこの失敗を思い出すと、記憶の中の登場人物が私に語りかける。

Don’t you remember me?

庭訓。テスト勉強も受験勉強も、変なことしちゃだめよ。身の丈に合った教材を選ぶべし。