近いうちに発行される学校新聞に、卒業生へのメッセージを寄稿させていただきました。その中で、私がカモメを引き合いに出したところ、私の後ろの席に座っておられる先生から「かもめさん」やら「ぷかぷか浮かんで」やらといった文言で弄られる日々が続いています。参ったもんです。
あのカモメです。海にいるやつ。釣り人なら誰でも知っているわけですが、カモメは冬の鳥です。三木町新通のバス停がある橋の上には、冬の朝、カモメが一斉に飛び立つ様子を見ることができる日が何度かありました。寒さが和らぐとどこかへ飛び去っていく、あの鳥たちのことです。
私は一介の語学教師でもあり、小説読みでもあるので、「カモメ」というキーワードだけで自分の文学体験から、からからと引き出しを開けていくつかの一節を引っ張ってきたりしたりしたいと思います。
例えば、太宰治のある文章にこんなのがあります。
私は漂泊の民である。波のまにまに流れ動いて、そうしていつも孤独である。よいしょと、水たまりを飛び越して、ほっとする。水たまりには秋の空が写って、雲が流れる。なんだか、悲しく、ほっとする。私は、家に引き返す。
こんな具合です。タイトルは『鴎』。そう、カモメです。そのまんまです。
国を超えて、ロシアの作家にアントン・チェーホフという人がいます。私はこの人の作品が好きで、中でも彼の『かもめ』という戯曲が好きで、その結果私はモスクワから二時間かけて電車やローカルなバスにゆられ、彼がこの作品を書いた場所まで出向いたこともあるぐらいです。どうでもいいですが、冬のロシアの寒村にあるその場所で、私は3匹のかわいい猫たちに出迎えられ、私が行くところにニャーニャーいいながらついてくるこの生物に私は魅せられてしまいました。(カモメ関係ねえ。)作中のヒロインのニーナが言う「私は、かもめ」という台詞が長く印象に残る作品です。まあ、人生に疲れたら読んでみてください。
ところ変わって、アメリカの作家にジョン・アーヴィングという人がいます。この人の作品も私は好きなのですが、”The Cider House Rules”という小説の中にある次の一節は印象的です。
Among orphans, thought Homer Wells, sea gulls are superior to crows – not in intelligence or in personality, he observed, but in the freedom they possess and cherish. It was in looking at sea gulls that it first occurred to Homer Wells that he was free.
孤児にとって、カモメとはカラスよりも上の存在だとホーマー・ウェルズは思った。彼の見立てでは、知性や個性において優れているというわけではなく、カモメたちがもっていて、大切にしている自由において、である。カモメを見ているとき初めて、ホーマー・ウェルズは自分が自由であると考えるに至った。
カモメというのが芸術家たちにとってどのような存在か、偉大な作品に触れることでおぼろげながら見えてくるのではないでしょうか。私が卒業生に送りたかったメッセージもこんなところです。はい。
最後に、三好達治の『鷗』という詩から一節を引用して、この文の終わりとしましょう。続きは自分で調べてみてください。
ついに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだ
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
ついに自由は彼らのものだ
(…続く)
テキスト引用元
・太宰治『鴎』――青空文庫(太宰治 鴎 ――ひそひそ聞える。なんだか聞える。 (aozora.gr.jp)
・”The Cider House Rules”, John Irving, Black Swan(1986), p.282