大正時代の聖書について

国語科の田川です。

早速ですが、みなさんは聖書を読んでいますか?
宗教の時間だけ、聖書朝礼のときだけに開くという人も多いのではないでしょうか。

折角信愛に通っているのなら、是非とも聖書の色々な箇所に心を止めてほしいと思います。
とは言え、日々の忙しさに負けて、ついつい聖書をゆっくり味わう暇がないことも確かです。(僕自身も忙しさを言い訳にして、なかなか読めていません)

そこで一つの提案なのですが、『文語訳 新約聖書』を読んでみる、というのはいかがでしょうか。『文語訳 新約聖書』はその名の通り全文が文語文法で訳されています。

つまり聖書を楽しんで読むうちに古典文法が身に付きます!(多分)
古典の勉強をしているうちに聖書も読むことができます!!(きっと)
一石二鳥ですね。

では試しに、先日の聖書朝礼で朗読した箇所を引用してみます。

「たとひ我もろもろの国人の言および御使の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や響く鐃鈸の如し。仮令われ預言する能力あり、又すべての奥義と全ての知識とに達し、また山を移すほどの大なる信仰ありとも、愛なくば数ふるに足らず。たとひ我わが財産をことごとく施し、又わが体を焼くかるるために付すとも、愛なくば我に益なし。愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、非礼を行はず、己の利を求めず、憤ほらず、人の悪を念はず、不義を喜ばずして、真理の喜ぶところを喜び、凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。愛は長久までも絶ゆることなし。」(『文語訳 新約聖書 詩篇付き』岩波書店 p391より引用)

いかがですか?
かっこよくないですか??
かっこいいですよね????

この聖書は明治時代に訳された文を徐々に改めながら大正時代に出版された聖書です。
少し読みづらいと感じるかも知れませんが、簡潔にしてリズミカルなこの文章が好きだという人も多いです。

生徒の皆さんが持っているのは、「新共同訳」の聖書だと思いますが、色んな聖書に触れてみてはいかがですか?
新しい発見があるかも知れませんよ。
次は聖書朝礼について書きます。お楽しみに!