文学を学ぶ 藤原麻衣

2学期の期末試験から終業式の間で『永訣の朝』を学んだ。宮沢賢治が最愛の妹の死に際して作り上げた作品である。
詩の鑑賞は難しい。

ただ読むだけでもいいかもしれない。
黙読、音読して、各々が感想を述べ、作品の世界に浸る。それでもいいのだろう。
自分なりの解釈を一人かみしめる、それも正解かもしれない。
しかし高校二年生の現代文の授業として、何かほかにできることはないだろうか。

そこで、作者である宮沢賢治の持つ世界観、著作に共通するテーマのようなものに注目して学ぶことにした。
宮沢賢治の作品の特徴は「農民」と「宗教」だと言われる。その特徴が『永訣の朝』にも現れている、という読み方だ。

授業を受けた生徒たちはどう感じただろうか。
知らずに読むことと、知って読むことの違いを感じてくれただろうか。
知識があることで深くなる、広くなるということを感じてくれただろうか。
示唆できていたとすれば嬉しい。

以下は生徒の感想である。この機会に、『永訣の朝』を読んでみるのはいかがだろうか。

“作品全体を通して、作者独自の言い回しや比喩表現があちらこちらに散りばめられており感銘を受けました。
直前に「あんなおそろしいみだれたそらから」という表現で妹の死を不気味だと描写しておきながら、敢えて「このうつくしい雪がきたのだ」と「うつくしい」という表現を使うことで、死は決して不気味なものではなく、妹は清らかな世界へ生まれ変わるのだと考えが一転する部分がとても印象的でした。”

“妹が賢治に雨雪を取ってきてほしいと頼んだ時に賢治が雪をすくったものが手でもスコップでもなくお茶碗だったことが印象的です。
賢治は「はげしいはげしい熱の…」から「やさしくあをじろく…」という表現の変化で妹の命の終わりを表現しました。
お茶碗はお米をよそうものでお米は私たち日本人にとっては大切な主食です。そんなお茶碗に雪をすくった時賢治は妹がもうお米を食べることはないということをありありと感じたのではないかと思ったので印象に残りました。また「みなれたちやわんの…」という表現から二人の過ごした日々か垣間見え悲しい気持ちが高まりました。”

“「うまれでくるたてこんどはこたにわりやのごとばかりでくるしまなあやうにうまれてくる」「あめゆじゆとてちてけんじや」
これらの言葉は宮澤賢治の妹が言ったもので、今苦しんでいるから生まれ変われるなら誰かのために苦しみたいという妹の優しさや未来への希望が表現されていてよかった。永訣の朝は宮澤賢治の妹への愛や思いやりが伝わってくるけど、この2つのところは妹の宮澤賢治への思いやりが伝わってきてよかった。
詩を読み進めると妹がどんどん死に近づいて行くのが分かるのと同時に宮澤賢治が妹の死を実感していくのは、妹の兄への思いやりがあるからこそなんだと思った。
妹は宮澤賢治の法華経的な考え方に家族で唯一共感してくれたから宮澤賢治は妹が好きなんだけど、死の間近でも誰かを思いやれるところに妹の性格や心が表れていて、宮澤賢治の妹への愛がこれだけ深いのかがよく理解できた。”