近頃、江戸時代の「参勤交代」や「国替え」を題材にした時代劇映画が人気を集めています。いずれも諸国大名がお金に困窮する中、どのように参勤交代や国替えという大事業を乗り越えていくのかをコミカルに描いていて、大変面白いです。
この映画の通り江戸時代にお金に困る大名が多く居たというのは事実ですが、それは一体なぜでしょうか?それは、「○○万石大名」と称されるように、大名の収入源が「米」だったからです。当時は米の価格が下落し続けて安値でしか米が売れなくなり、大名たちの収入はどんどん減っていき、やがては商人から多額の借金をして首が回らくなる始末でした。
では米価が下ちていったのはどうしてでしょうか?それは農機具の発達(備中ぐわ・千歯こき・とうみ)や、新田開発によってもたらされた日本の農業の飛躍的な生産力の向上でした。これで「米」の供給量は大きく伸び、青物野菜(諸色と呼ばれていた)の生産もする余裕があるほどでした。それに対して絹などを大量に輸入していたので、「お金」は海外に流出する一方でした。「米」は多いので希少価値が下がり、「お金」は少ないので希少価値が上がりました。当時は現代のようにお金は簡単に印刷できる「紙」ではなく、「金・銀」といった鉱物資源だったので、発掘作業をしない限り「お金」が増えませんでした。そんな中で「米」の価格は下がり、大名達は困窮し、江戸幕府は弱体化していきました。これは日本人の勤勉さで生産力が高まっていく中で起こった不幸せと言えるかもしれません。このどうしようもない不幸に藩士達が立ち向かい、必死で藩を救う姿を描く時代劇を見て、私たちは感動し笑ったり泣いたりするのだと思います。
それにしても、どうすればこの不幸な状況を避けることができたのでしょうか?この問題に必死に立ち向かった人物が居ました。徳川綱吉の時代に勘定奉行として活躍した、荻原重秀(おぎわら しげひで:1658年-1713年)です。私は彼こそ江戸時代の偉人だと思います。歴史が好きな方、興味のある方は一度書店で荻原重秀についての本を手に取ってみてください。