新しい力の育成   長江 高司

「平昌オリンピックメダリスト新たに3人誕生」の報にわく今日、新しい高校の指導要領案公表のニュースが半ば申し訳なさそうに新聞の一面に載っていました。
このことについて思うところを述べてみたいと思います。

新聞の中面を詳細に読んでいくと、今回の改訂の趣旨や要点がわかります。私が特に気付いたポイントを何点か挙げてみます……
・選挙権を持つ18歳を「社会の担い手」に育てるために学びの質を転換
・自ら考え、対話しながら多様な視点で学ぶ
・具体的授業像としては、「教員のチョーク&トーク」⇒「生徒の討論や体験」
・思考力、判断力、表現力を重視し、強化
・そのためのカリキュラムの大幅改変
・例えば、日本史・世界史融合の「歴史総合」や「公共」などの必修科目新設

私の専門教科の国語では、国語総合に代わって「現代の国語」と「言語文化」に分かれ、「現代の国語」で説明書や報告書の作成、スピーチや討論などを扱う、となっています。センター試験に代わって2021年1月から実施される共通テストの試行テストやサンプル問題と合致する中身です。どうやらこれをしっかりやれば新しい大学入試に対応できる基礎力がつくようです。

以下は記事を読み終えての個人的感想です。
グローバル社会は多様な価値がぶつかり合う社会です。あらゆる場面で着地点が待ったなしで求められます。適切な着地点が見いだせなければ、何らかの問題が発生し、多くの人が実害を被ることになります。現に今、世界中で起こっている種々様々な問題の根っこは「価値の衝突」だと言えるでしょう。次代を担う生徒たちはそこを避けて生きていくわけにはいきません。それを踏まえているからこそ、新指導要領案のなかに「事実をもとに多面的・多角的に考察し公正に判断する」という文言が多く登場するのでしょう。この文言を少し掘り下げて考えてみると、「情報洪水のなかから何が事実であるかを見極める力」や「何をもって公正とするかの物差し(倫理観)」も養わねばならないと思います。学校現場の責任は重大です。しかしながら、何か特別なことを一からやらねばならないというものでもない、と感じます。

信愛では、幸いにも数年前から新指導要領案の趣旨を踏まえた取り組みを各教科で行ってきています。また、教科の枠を超えての活動も盛んです。今朝も受験期の高3生を除く全校生徒が体育館に集合し、年末に行ったSGHカンボジア研修の報告会を実施しましたが、ステージ上でプレゼンを行った生徒たちのなんと堂々とした姿!伝えたい要点をコンパクトにまとめ、聴き手の心に届く言葉でわかりやすく発表する姿に驚きを禁じ得ませんでした。自分の高校時代なら絶対に考えられない。日頃の主体的・能動的学びがこういう成果を生むのだと実感しました。(詳細は以下をクリックください)
SGHカンボジア研修報告会

また、知識偏重はもちろん是正されるべきだとは思いますが、「主体的に考え、校正に判断する」ためにはベースとなる知識は不可欠です。ですから、知識定着型の学習をおろそかにしてはいけないでしょう。この点でも信愛生の知識定着に対する努力は大変評価されるものだと思います。やみくもにアクティブラーニングに走ってしまったら、「中身(心)のともなわない見栄えが良いだけの人間」が増えていくでしょう。そしてその結果、一部のずるがしこい人間やAI(人工知能)に支配されていく社会になっていくのではないか。そんなことを危惧します。

信愛では、カトリックミッションとしての「共生、協働」を宗教の授業や行事だけではなくあらゆる機会に落とし込んで生徒たちの血肉となるような教育活動を日々行っています。それが普遍の価値だと考えるからです。この価値を大切にしながら「思考力・判断力・表現力」の育成に努め、来たる改訂に備えたいと思う次第です。

ところで、今回の改訂は現在の小学校5年生が高校生になる2022年度実施予定だそうです。うん? その時私は??才。果たして高校教員を続けているのだろうか……。(長文すぎてすみません。最後までお読みくださってありがとうございました。)