3月、大阪南港発鹿児島行きのフェリーの中でのこと。大浴場に行くと、脱衣所のロッカーは返却式の、100円玉が必要なロッカーであった。私は運良く小銭を持っていたので、問題はなかったが、居合わせた中年の女性は、100円硬貨を持っていなかった。
「あら、100円いるのね。持ってないわ」と女性が小さく声をあげたとき、別の中年の女性が、「お持ちでないならどうぞこの100円を使ってください」と声をかけた。言葉の様子と雰囲気から察するに、100円玉を持っていなかったのは関東からの旅行者で、100円玉を差し出したのは、鹿児島行きのフェリーには乗り馴れた九州の方のようであった。
「申し訳ない。部屋に取りに帰ります」「いいえ、構いません。どうぞこれをお使いになってください」などと押し問答をしている。私はごそごそとシャンプーやらせっけんやらを用意しながら、成りゆきをうかがっていた。すると九州の方が「どうぞ、ご遠慮なく。これもご縁ですから。私もまたこうして誰かに100円助けてもらわないといけないようなことがあると思いますし」ときっぱり100円玉を差し出した。その言葉ははっとするような説得力があった。この言葉を受けて関東の方は「まあ、すみません。それではお言葉に甘えます」と言って一件落着したのであった。
その後、私が入浴を済ませ、ツーリストと呼ばれる雑魚寝の大部屋に戻ると、100円玉を貸した方の女性が入浴から戻ってきた。同じ部屋だったのですね、というあいさつを込めて女性と私は会釈を交わし、めいめい荷物を片付けたりなどしていた。そこにガチャリと扉を開けて100円を借りた方の女性が先ほどの100円とお礼のお菓子を持って入ってきた。「本当に助かりました」「わざわざ結構ですのに」とまた軽い押し問答が繰り返され、大浴場からのことの一部始終を知っている私は第三者でありながら、第三者でないような曖昧な笑みを浮かべて見ていた。
100円を借りた女性が部屋から出て行った後、100円を貸した女性は、もらったお菓子を私に分けてくれた。チョレートのかかったビスケットであった。毛布にくるまりながら、そうか、人の縁とはこんな風につながっていくものなのだな、と何か温かいものと一緒に腑に落ちるものがあった。そして次第に船底からの振動は遠のき、快い眠りに落ちた。