後藤 幸子

私の頭の中はいつも色んな想像(妄想?)や考えでいっぱいなのですが、最近よく考えることの1つが「名前」について、です。名前は、誰もがもっているものです。何ももたない私でも、「名前」だけはもっています。

私は学生の頃、ある人から「雑草みたいな人だね」と言われたことがあります。引っこ抜いても何度も生えてくる草のような強い人ってほめてもらったのかもしれないけれど、内心はショックでした。単純にもそんなことでひどく落ち込んでいた私に、恩師が「雑草でもいいじゃないですか。あなたはしっかりと根の張った草です。そして、どんな草にも必ず名前があるのです。あなたは名前のある草なのです。だから、しっかり根を張らせて生きてください。」と言われました。このメッセージ…、どっちみち私は花ではなく草なのか??と、慰められているのかどうかよく分かりませんでしたが、どんな草にも名前があるのだな…はっと気づかされました。

私は自分の名前が好きではありません。発音のしやすい、英語っぽい名前をつけてほしかったなと今でも思います。母に聞くと、本当は私の名は「典子(のりこ)」という名前になる予定だったそうです。それで、もし典子さんとしてなら、私の人生はどうなっていたのかな、なんて考えることもあります。

私の周辺では、名前をつける側になる友人が多くなっています。先日久しぶりに会った友達との会話でも、子どもの話になることがほとんどです。
もし私がまた別の人生でも女性に生まれて、子どもを授かることができるなら、そしてその子が女の子なら、「いのり」と名づけたいです。胸いっぱいの「祈り」を込めて。その子を呼ぶたびにその子への「祈り」を感じてもらえるように。恥ずかしい話なのですが、友達の赤ちゃんを見ていると、私はそんなことを考えてしまいます。

みんなが、それぞれ素敵な名をもっています。名前をもつ、大切な人です。おうちの人があふれる思いを込めて、一生懸命考えて、みんなに名を与えてくださったのでしょう。そう考えると、少しほんわかしたあたたかな気持ちになりませんか。だから、私も自分に名前を与えてくれた両親に少しは感謝しないといけないなぁ、と思ったりします。

もうすぐクリスマス。ゆっくりとみんなで集う夜に、あなたの名前の由来についておうちの人に話を聞いてみるのはどうでしょうか。