西岡 俊和先生

『友を選ばば』

「友を選ばば 書を読みて 六分の侠気 四分の熱」というのは,与謝野鉄幹という昔の人の詩(うた)なんだけど,いかにも時代遅れな感じがしないでもないな。ところで,「友」を選ぶっていうことはどういうことなんだろうか,いくら立派な人を友にしようと思っても,相手も自分と同じように思ってくれないとどうしようもないものね。とはいえ,自分のことはさておき,本当にすてきな人が自分の友達でいてくれたら,どんなにすばらしいことだろうと思いませんか。
僕の母はもう80歳をだいぶ前に超えたけど,学生時代からずっと変わらずにつきあっている親友が2人いて,いまでも電話でくだらないおしゃべりをして気合いを入れあっている。僕も子供のころからこの2人にはぼろかすにしかられ続けてきた・・・まるで母親が3人いるみたいだった。僕にもたぶんこのまま一生つきあうだろうと思われる友人が何人かいて,めったに会うことはないけど,彼らが同じ時間を生きていてくれたことはどんなに自分の励みになったか,言葉では尽くせないほどだ。彼らに出会ったのは,高校とか大学時代のどこかで,別にいつもつるんでいたわけでもないし,一緒に旅行に行ったりしたわけでもないのに,多くの友人の中でいつも気になるのは,こいつらだけなんだ。なんでこいつらなのかよくわからない・・・思い出すのは学生時代のほんのちょっとした仕草やくだらないけんかくらい・・・ただ,「へ~,こいつこんなことを考えてるんだ」と本気で感心したことはあったかな。そして,そんなとき与謝野鉄幹がなぜあんな詩を作った気持ちが,ちょっと腑に落ちる気がした。 きっとみんなも,今から何年か何十年かしてふとこれまでの自分を支えてくれたかけがえのない「友」のことを思うことがきっとあると思う。そんなとき,きっと不思議に思うだろう・・・なぜ,何十人もいた他の人ではなく,この人だったんだろうかと。いまあなたの周りでほほえんでいる何十人もの人たちのなかで,ほんの何人かだけが,これからほとんど会うこともないのにどんどんその輝きを増していく,そしてそれ以外の人たちは残念なことにその存在がどんどん希薄になっていく・・・そしてそんな数人の「友」だけが,さまざまな場面であなたを支えてくれることになるんだ。高校時代というのはほんとに忙しいし,勉強も受験もあるし,しなければならないことは本当にたくさん有るのだけど,一生その人とつきあうことになる「友」を見つけ,そして見つけられることほど大事なことはないと思う。 今,自分の周りを見渡してほしい,その中にきっとあなたのかけがえのない「友」になる人がきっといるに違いない。ただし今はそのことはわからない。何年か,ひょっとしたら何十年かたった時,はじめて自分にとって誰が「終生の友」だったのかわかるものだから。だから,ちょっとした一言や仕草に注意した方がいい,なにはなくても正々堂々と生きていてほしい・・・今でも誰かが,あなたの背中をじっと見ているかもしれないから・・・自分の終生の友って誰なのか考えながら。