2023年度の芸術鑑賞会を覚えているでしょうか。
漫才の中で、おだうえださんの冒頭の話が印象的でした。その中で、彼女たちは「あたし、『オ』の口したまま『エ』って言えんねん」という衝撃的なやりとりをしておりました。そうして実際、口の形をわかりやすく固定したまま、様々な発音を披露してくれたのです。
私はそれを見ながら、そのネタの面白さに笑いながら、着眼点の素晴らしさに心の中ではいたく感動しておりました。これはまさに、19世紀の大言語学者ヤーコプ・グリムが名付けた音韻現象「ウムラウト」ではありませぬか!
「ウムラウト」(Umlaut <Um 転換 Laut 音) とは、ドイツ語の名称で、母音の調音点が口の中で後ろから前に移動する現象です。「えおえお」と何度か口に出してみると、「え」の方が口の前方で発語されているのがわかると思いますが、後ろ母音の「お」のような音が「え」に引き寄せられることを「ウムラウト」と呼びます。英語、ドイツ語、オランダ語や北欧諸語を含む北西ゲルマン語では、すべての言語がこの音変化を経験しています。
例えば、foot の複数が、feet になるのは、「ウムラウト」による複数表示です。<oo> → <ee> では、口の後ろで出す「オ/ウ系統」が口の前方で発音する「エ/イ系統」に移動しているのが分かります。
他の例をどうぞ。
オ/ウ系統 → エ/イ系統
FOOT → FEET 複数形
FULL → FILL 動詞化
OLD → ELDER 比較級
THOUGHT → THINK 過去形→原形
ちなみに、日本語で、
かっこいい→かっけー
KAKKOII → KAKKEE
みたいになるのも、方向性は同じです。
実際には、英語史の中で、「ウムラウト」という現象は衰退し、さらに近代以降の様々な音の変化に邪魔されて、その関係性が見えずらくなってしまいました。ご親戚のドイツ語では、ウムラウトは文法のあらゆる場面で大活躍するのとは対照的です。
ドイツ語では「本」を意味する単語の《単数-複数》は、
Buch – Bücher
ブーフ – ビューヒャー
のようになります。üがウムラウトのサインで、「おだうえだ流」に言うと、「ウ」の口で「イ」みたいな音です。一方英語ではご存じの通り、book-books というありきたりの複数表示です。
実は1000年以上前の古英語では、英語でも、
bōc – bēc
ボーク – ベーチ
のように、ウムラウトによる複数でした。英語はこれを捨て、規則的な -s の複数にしていったのです。(賢明。)
しかし、古英語の「本」の複数形 bēc に由来する現代語の beech という単語が実は生き残っています。ややマニアックな単語ですが、ご存じでしょうか。
この単語は「ブナの木」という意味です。ゲルマン民族にとって「本」の原初の姿は、木にルーン文字を刻みつけたものだったと考えると、「本」と「木」が同じ単語であるということに納得がいくものです。そして、もうお気づきだと思いますが、日本語の漢字でも「本」と「木」はあきらかに字形的に関連しております。
失われしウムラウトの名残が英語の中でひっそりと生き残っていて、太古の書物の姿を伝えてくれるのに、なんとも言語のたくましさを感じるわけです。なんて考えていたら、残りの漫才があんまり頭に入ってきませんでした。だめだめな客!