「残像」
先日、実家で高校時代の卒業アルバムを見つけた。懐かしさから開けてみると、最終頁にクラスメイトの寄せ書きを見つけた。
「無限軌道」「夢追い人」など、意味が分かるようで曖昧な言葉が目立つ。
その中に、一首の短歌をみつけた。紹介したいと思う。
懐かしさだけで眺めるアルバムに残像求め開くる日やあらん(男子)
何年か後にアルバムを開く己を想定し、彼はこの歌を残したのだろうか。 いやに大人びた奴だと思った。
しかし、名前は書かれているが顔も思い出せないので、写真で確認した。 モノクロの凜々しく強いまなざしは印象的だが、それでも彼との思い出は戻ってこない。同じクラスで寄せ書きを残すくらいだから、一定の人間関係があったはずなのにと不思議であった。
さて、40年余りを経て開いたアルバムだったが、アルバムは私に苦々しい思い出だけを蘇らせた。個人写真はともかく、集合写真は人影に隠れるように、クラブ写真も、スナップ写真も・・・自分ではないみたい
しかし、写真の「私」は、否定できない当時の自分自身の姿であり、恥ずかしさや身震いする程苦い思い出が蘇った。勉強に苦しんだこと、クラブに挫折したことなど、自分に不都合で不本意な過去を突きつけられた思いがして、息苦しくなった。何より、40数年の間に無意識に記憶の外に追いやり、あるいは美しい思い出にすり替えて来たものが崩れてしまったことがショックだった。と言うより、大人になるにつれて、自分の過去をいかに美化してきたかと気づかされ驚いた。
その後、過去の写真は真実であるが、今の私を写してはいない。言わば、アルバムの私は、高校生時代の私の「残像」でしかないと考えてみることにした。そして、「残像」を頼りに今を生きているのではないと自分自身に言い聞かせ、アルバムを元の埃っぽい部屋の奥に押し込んだ。
懐かしさだけで眺めたアルバムを閉じぬ 現(うつつ)に戻りたし我
古(いにしえ)の写真に辿る来し方に残像なれど恥ずことしきり 石田晋司
顔も思い出せない級友の歌に合わせて、私も歌を作ってみた。
元来、私は楽観的と言われてきた。最近は「胸に矢を射られても、翌日には矢を溶かし何もなかったようにしてしまう」などと酷評されたこともある。まるで、「物事を深くとらえず反省のない奴」と言われているみたいだが、過去は忘れ、これからを優先するのは私の本意であり処世術でもある。 これからも前向きな自分で過ごせるように努めたいと考えている。