色について、徒然なるままに… 淺野瑠一

※いつもは一週間程前から原稿を準備するのですが、今回はまさかの当日の朝からです。準備不足が甚だしいため、イマイチな内容となっております。

 

色は曖昧です。

 

物体に当たって反射した光が眼に入り、網膜に在る桿体細胞がそれを受容して電気信号に変え、その電気信号を脳が読み取って色を認識しています。
とはいえ、間に何ステップも踏んでいるのだから曖昧だよね~、というのが今回の本題ではありません。(伝言ゲームの論理)

結局は脳の認識で、足りない情報を脳が補完しているから曖昧だよね~、というのも今回の本題ではありません。(時計を瞬きし続けて見ると短針が巻き戻って見える、などの目の錯覚)

今回の本題は、色を表す言葉、についてです。

人類学者のBrent BerlinとPaul Kayの研究成果(1969)曰く、世界の100以上の言語において色の名称の発明順序がほぼ一緒、だそうです。

 

 

(ref. Berlin,B. & Kay,P. (1969) Basic Color Terms: Their Universality and Evolution. University of California Press.)

事実、パプアニューギニアのBerinmo言語では色を表す言葉が5つしかなく、アマゾンのTsimane言語では黒・白・赤という3つの言葉しかありません。
同じ色でも人(言語・文化)によって分類のされ方や呼ばれ方が変わるため、言語で色の情報を共有するのは非常に難しく、曖昧なままに終わらざるを得ないのです。

ここで気になったのは日本語の「青」。

日本語圏では緑色を青色と呼ぶ文化があります。(青信号、青竹、青葉、青虫、青りんご、等々)
一説によれば、日本語の古語では白、黒、赤、青しか言葉が無く、虹の七色が伝わった際に新たに色を名付けたようです。
…さっきの論文と違うなぁ?
狩猟文化と農耕文化による違いなのでしょうか?
しかし、農耕ならば余計に「緑」が先に産まれそうなものです。
不思議不思議。

他にも、多くの言語において寒色よりも暖色の方が色数(言葉)が多くなっており、暖色の「モノ」と人々は関わりを持ち、他人との話題に使ったため、優先的に名付けられたと考えられているようです。

ちなみに、色彩検定2級では和色名31色+外来色名32色の計63色の言葉がありますが、このまま色名が増え続けるとどこかで飽和するのでしょうか?
一方で、「肌色」という表現は「ベージュ」や「薄茶色」などに取って代わられつつあります。
色も淘汰されていくのかもしれません。