先日の和歌山市での断水計画、該当地域に当たっていた人は信愛生の中でどれくらいいたのでしょうか。そういう私もばっちり該当していたので、早々に和歌山市外の実家に避難することにしていました。
結局断水は免れ、準備していたペットボトルの水や、浴槽にためていた水は無駄になったように思いますが、今回の件で知らなかったことをたくさん知ることができました。
まずは水道管が老朽化していること。私たちは蛇口をひねれば水が出る、という当たり前の状態を疑問に思っていないのですが、それを支える施設(浄水場や水道管)は当然時間がたてば古くなっていきますよね。それを新しくしようとすると、当然費用がかかります。その費用は私たちが支払う水道料金が元になるのですが、人口減少で水道料金収入が減少しているのだそうです。
そして、意外だったのは、私たちがしている「エコ」、水道で言えば「節水」が水道料金収入を下げている、ということです。使わないときは水を止める、節水タイプのシャワーや洗濯機を使う、など、私たちは節水=素晴らしいことだと思っているのですが、節水する→水道料金収入が減る→水道管の修理などに費用を回せない→水道管が老朽化→断水騒ぎ!のようになると、節水しない方がいいのか??と考え込んでしまいました。
しかし水は大切な資源ですから、節水することは悪いことではないはずです。でも水道料金収入が減ってしまえばメンテナンスをしてもらえなくなる…では、一体どうすればいいのでしょうか。答えは…わかりません。
でも、今回の断水騒ぎがなければ、このようなことを考える機会すらなかったと思うのです。そして、関係者の方々は私たちよりもずっとずっとこのような問題に対して解決策を考えて下さっているはずです。
今回のことを「断水しなくてラッキーだった」とか「単に振り回されただけだったわ」という考えで終わらせるのではなく、もう少し踏み込んで考えてみてはいかがでしょうか。私も考え続けたいと思います。