「待つ」こと       西川誠則

ついこの前までハロウィンで賑わっていたかと思うと、巷はもうクリスマスムードで盛り上がってきているように感じませんか。いわゆるクリスマス商戦の時期ですね。世の中の人(キリスト教になじみのない人)の目には、ハロウィンやクリスマスはどんな風に映っているのでしょうか。

先日の体育館朝礼において、校長先生から「降誕節」「待降節」のお話があり、信愛生として「本当のクリスマス」について考える機会をいただきました。

カトリック教会ではクリスマスを「降誕祭」と呼びます。そして、クリスマスイブから約2週間は「降誕節」と定められており、救い主であるイエス・キリストのご誕生を心からお祝いします。そして、それまでの約1か月の準備期間が「待降節」と呼ばれています。「待降節」は、ご誕生のお祝いの準備をするだけではなく、イエス・キリストが再び来られることを待望する期間でもあるのです。

人の「待つ」という行為には、何かしら「希望」が伴っていることが多いのではないでしょうか。「待ちわび」て「待ちくたびれる」こともあるかもしれませんが、「待望」「期待」「待ち遠しい」「待ち焦がれる」「待ち望む」という言葉にはどこかワクワク感があります。

例年のように、“クリスマスプレゼントに何をお願いしようかな?”と、そわそわし始めている人も少なくないと思いますが、今年は「本当のクリスマス」を温かい気持ちで待ち望む時間を取ってみてはいかがでしょうか。

今年もエントランスホールの「馬小屋」の飾りつけが完了しております。是非ご覧ください。