森田 亮二先生

先日、中学校時代の同窓会に参加したところ、担任の恩師に「名前を忘れられていた」というショッキング?な事件がありました。
「僕です、森田ですよ、先生」と教えたとたんに先生は「ああ!!スマン、ホンマにゴメンな、森田」とヒドく謝っておられ、こっちが恐縮してしまいました。
一方、当時ワルだったY君のことはしっかりと覚えておられ、「あの時は先生のおかげで退学せずに済みました、本当に感謝してます」「いやいやY君本当に退学にならなくてよかったな~、ハッハッハ」などと二人の会話ははずんでいました。
少しジェラシーを覚え「影は薄かったかもしれないが、成績も良かったし、学級委員だったのに!!」と思ってしまいました。
しかし思い返してみると、昔から恩師は心配をかける生徒のことこそ心にとどめる人で私はそういう恩師を尊敬しています。
そういえば、聖書の神様も恩師とよく似た姿を我々人間に見せることがあります。

「兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
(ルカ15章11〜32)「放蕩息子」より